「いい年してそれ?」と感じる人、いませんか?
会話してて、論理がまったく噛み合わない。
こっちの話が、なぜか通じない。
当たり前のことを言ってるのに、頓珍漢な反応が返ってくる。
最初は、こう思うかもしれません。
「常識がない人だな」
「性格が悪いんだろうな」
「自己中すぎる」
でも、その人と話してると、ふと気づく瞬間があります。
「いや、これ、性格とか常識の問題じゃないかも」
「もしかして、思考そのものに、何か違うところがある?」
その違和感、合っています。
未熟な大人とは、思考のいくつかの機能が欠けている人
言葉を選ばずに言うと、思考のいくつかの機能が、欠けているということです。
人としての能力全体の話じゃありません。
論理的に考える機能、因果関係を捉える機能、筋道を辿る機能。
こういった、思考を組み立てる土台になる部分が、年齢相応に育っていない。
または、もともと育ちにくい特性で、欠けたままになっている。
だから話が通じない。
こっちが論理で説明しても、相手にはその論理を受け取る機能がない。
噛み合わないのは当然のことなんです。
これらの特徴は、子どもなら自然なことです。
これから経験を積んで、育っていく途中だからです。
でも、いい大人がこれだと「未熟」になる。
年齢相応に育つべきものが、育っていない状態です。
具体的な例で見てみる
たとえば、こんな場面を想像してみてください。
不倫がバレて、配偶者に詰められている男性がいるとします。
そこで本人が、こう言う。
「なんで俺がこんな目にあわないといけないんだ?」
「こんなことやられたら、俺が可哀想だろ」
聞いている側は、こう思いますよね。
「いや、お前が原因なんだけど」
時系列を整理すると、こうです。
A:自分が不倫した
B:それがバレた
C:詰められている
A→B→Cと、原因と結果が一本に繋がっています。
普通の人なら、「自分が原因」と即座に分かる。
でも本人は、C(今詰められている)しか見ていない。
A(自分が不倫した)が、視界から消えている。
だから「なんで俺が?」という、論理的に成立しない問いが出てくる。
これが、思考の機能が欠けている状態の、典型的な姿です。
たった一つの場面で、いくつもの機能の欠落が同時に現れています。
未熟な大人に、欠けている6つの機能
具体的に、何が欠けているのか。
未熟な大人には、こういった機能が育っていません。
1. 論理的に考える機能
筋道を立てて物事を考えることが、できない。
感情や思いつきで判断する。
「こうだから、こうなる」という組み立てが、頭の中で成立しない。
2. 因果関係を捉える機能
原因と結果の繋がりが、見えていない。
不倫男の「なんで俺がこんな目に?」が、まさにこれです。
自分の行動(原因)と、今の状況(結果)が、頭の中で繋がっていない。
3. 筋道を辿る機能(三段論法)
「Aなら、Bになる。Bなら、Cになる。よって、AならCになる」
こういう推論が、ピンとこない。
だから、自分の行動の結果が、何手か先まで読めない。
4. 物事を多面的に見る機能
一つの面しか見えない。
自分の都合のいい側面、目の前の損得、自分が被害を受けた部分。
他の面が、視界に入らない。
5. 物事の深層を見る機能
表面しか見えない。
「謝罪の形さえあれば、中身は問われない」と思える。
深いところに何があるか、考えが及ばない。
6. 自分を客観視する機能(メタ認知)
自分が、外からどう見えているか、分からない。
自分の言動の影響が、自分でつかめない。
そして決定的なのは、自分の思考が浅いことに、本人が気づけないことです。
気づくためには、客観視する機能が必要だからです。
サイトで扱う「困った人」の、ほぼすべてがこの組み合わせで説明できる
この6つの機能、それぞれが組み合わさることで、いろんな「困った人」のパターンが生まれます。
たとえば、こんなパターン。
「バレなければいい」と考える人。
論理的に考える機能、因果関係を捉える機能、筋道を辿る機能の欠落です。
だからリスクの見積もりが浅い、結果まで想像できない、自分の行動と結末が繋がらない。
>>「バレなければいい」と考える人の思考
被害者ムーブする人。
多面的に見る機能、因果関係を捉える機能、自分を客観視する機能の欠落です。
だから自分が原因だと分からない、自分の側面だけ見える、外からどう見えるか分からない。
>>なんでこの人、すぐ被害者みたいなこと言うの?
「そう思わせたならごめん」と言う人。
深層を見る機能、自分を客観視する機能の欠落です。
だから謝罪の形さえあれば中身は問われないと思える、自分が見下している構図に気づかない。
>>「そう思わせたならごめん」にモヤモヤする理由
説教魔。
自分を客観視する機能、多面的に見る機能の欠落です。
だから自分の正義感だけで判断する、相手や周囲がどう感じるか想像できない。
>>やたら説教したがる人の正体
別々の現象に見えますが、根っこにあるのは、同じ「機能の欠落」です。
組み合わせが違うだけで、起きていることの構造は、同じなんですよね。
なぜ、機能が欠けてしまったのか
では、なぜそういう機能が欠けてしまうのか。
理由は一つじゃありません。
経験や環境で育たなかった人もいます。
子どもの頃から考える機会が少なかった、考えなくても済む環境で育った、楽な方を選び続けた。
こういう経緯で、思考の機能が育つチャンスを逃してきた、というケースです。
もともと育ちにくい特性を持つ人もいます。
特定の機能が、生まれつき発達しにくい。
本人の責任じゃなく、特性として、そういう人がいる。
どっちの理由なのかは、外からは正確には分かりません。
原因を断定することは難しいし、断定する必要もありません。
大事なのは、結果として、いま目の前の人にはこの機能が欠けている、という事実です。
本人は、自分の機能の欠落に気づけない
ここに、決定的な問題があります。
自分の思考が浅いことに気づくには、深く考える機能が必要です。
自分を外から見るには、メタ認知の機能が必要です。
自分の言動の影響を捉えるには、因果関係を捉える機能が必要です。
でも、これらの機能こそが、欠けている。
だから本人は、「自分は普通に考えている」と思っています。
「自分は冷静に判断している」と思っています。
「自分は正しい」と思っています。
そして、その認識を疑う機能も、育っていない。
これが、未熟な大人が変わらない、いちばん根本的な理由です。
変わるためには、まず「自分が変わるべき」と気づく必要があります。
でも、その気づき自体が、欠けている機能の働きを必要とするんです。
だから、こっちが「分からせよう」としても変わらない
ここまで来ると、ある現実が見えてきます。
こっちが正論で説得しようとしても、相手には届かない。
論理で詰めようとしても、相手にはその論理を受け取る機能がない。
何度説明しても、同じところで止まる。
「言えば分かってくれるはず」
「もう少し丁寧に説明すれば伝わる」
「いつかは気づいてくれる」
こういう期待は、構造的に成立しないんです。
相手の機能の問題だから、こっちの努力でどうにかなる範囲を超えている。
避けて通れない相手の場合
ただ、ここで一つ、難しい現実があります。
「機能が欠けている相手と関わらないといけない」と認識するのは、結構キツい話なんですよね。
たまに会う人なら、「あー、そういう人なんだ」で済ませられます。
距離を取れるなら、関わりを最小化すればいい。
でも、避けて通れない相手だと、話は別です。
家族、ご近所さん、毎日顔を合わせる職場の人。
そういう相手を「機能が欠けている」と認識して、毎日関わり続けるのは、しんどい。
ここで、認識を一つ整理しておきたいことがあります。
「相手の機能を正確に把握すること」と「相手を見下すこと」は、別の話です。
「この人とは論理的な話が成立しない」と理解することは、「この人は人として劣っている」と判断することではない。
相手の機能を正しく把握することで、初めて、適切な距離感や関わり方を選べます。
無理に論理で説得しようとして消耗するより、「ああ、この機能は持っていない人なんだな」と把握して、別のアプローチを選ぶ。
これは見下しているわけじゃなく、現実的な対応です。
そもそも、こっちは「変える担当者」じゃない
もう一つ、大事な視点があります。
こっちは、相手を変える担当者じゃないんです。
仕事の同僚なら、上司じゃないし、教育担当でもありません。
家族なら、親でも子どもでもない関係性が大半です。
ご近所さんなら、教育する関係じゃない。
友人なら、変える権利も義務もない。
そもそも、相手を変える役割を、誰からも頼まれていない。
なのに、勝手にその役割を背負って、消耗している。
これが、いちばん不毛なことです。
労力をかけても、得るものがない
仮に労力をかけて、相手を変えようとしたとします。
かかるもの:時間、エネルギー、精神的な消耗、関係性の悪化リスク。
得られるもの:ほぼ何もない。
機能が欠けている相手は、こっちの努力で変わらない。
ビジネスでこの計算が成立する場面なら、即撤退案件です。
それを人間関係でやり続けるのは、合理的じゃないですよね。
変わったとしても、それはたまたま
ただ、こんな反論があるかもしれません。
「でも、人は変わることもあるじゃないか」
確かに、変わったように見える瞬間は、あります。
でも、それはこっちの努力の結果じゃないことが、ほとんどです。
相手なりの別のきっかけがあった。
環境が変わった。
年齢を重ねて、自然と変化した。
偶然の重なり。
こっちが言ったことと、相手の変化に、明確な因果関係はありません。
たまたまです。
そして、「たまたま」を期待して労力をかけ続けるのは、合理的じゃない。
だから、自分の課題にのみ集中する
ここまで来て、結論はシンプルです。
人は変えられない。
こっちは変える担当者じゃない。
労力をかけても得るものがない。
変わってもたまたま。
だから、相手を変えようとする方向に、エネルギーを使わない。
自分の領域だけに目を向ける。
自分のできること、自分の選べることに集中する。
これが、消耗しない唯一の道です。
「気にするな」では、このモヤモヤは消えない
こういう人を相手にしたとき、よく言われるアドバイスがあります。
「気にしないほうがいいよ」
「世の中、そういう人もいるよ」
言ってる人に悪気はないと思います。
でも、これでスッキリした人は、たぶんいません。
なぜかと言うと、このモヤモヤは、感情の問題じゃないからです。
「気にしない」と決めれば消える種類のものではありません。
本当に消したいなら、感情で蓋をするのではなく、構造として理解するのが効きます。
「あ、この人は思考の機能が欠けているんだな」
「だから論理が通じないんだな」
「変えようとしても、構造的に変わらないんだな」
そう見えると、不可解さがだいぶ消えます。
そして、相手を変えようとする消耗からも、解放されていきます。
こういう人と、どう関わるか
とはいえ、こういう人とも、関わり続けないといけない場面はありますよね。
職場、家族、ご近所。
すぐに距離を取れない相手のときは、関わり方を変えるしかありません。
基本は「戦わない、変えようとしない、自分の課題に集中する」というシンプルな考え方ですが、これを身につけると、こういう人を相手にしたときの消耗が、だいぶ減ります。


