「なんでこの人、すぐ被害者みたいなこと言うの?」
そう思うこと、ありませんか?
明らかにその人の行動が原因で起きていることなのに、話を聞くと、なぜか被害者みたいな立ち位置になっている。
「自分もつらかった」
「自分も傷ついてる」
「周りのせいでこうなった」
いや、そもそも原因はあなただし、あなたは被害者じゃなくない?
ってなりますよね。
なんでこういう動きになるのか。
これも、ちゃんと理由があります。
完全に他責思考になっている
まず、根本にあるのはこれです。
このタイプの人は、完全に他責思考です。
すべての原因を、他人や状況のせいにする。
自分が引き金を引いたという事実が、本人の中から消えている。
普通の人なら、こう考えます。
自分の言動 → その結果 → 責任は自分にある。
因果が、ちゃんと繋がっている。
でも他責思考の人は違う。
結果だけを取り出して、「相手のせい」「環境のせい」と主張する。
そして、自分は被害者の位置に立つ。
因果の鎖を、自分に都合よく切断しているんですよね。
物語を、途中から切り取って語る
このタイプの人の語り方には、特徴があります。
「私、こんなにつらい目に遭ってるんです」(現在の苦しさ)
「あの人にこんなこと言われた」(直近の被害)
「ずっと我慢してきた」(自分の忍耐)
こういう話が、延々と続きます。
でも、語られないことがあるんですよね。
そもそも、自分が何をしたか。
どこから物事が始まったか。
自分の言動が、どう連鎖して今に至ったか。
これらが、すっぽり抜けている。
つまり、物語を途中から切り取って、自分が一方的な被害者に見える構図を作っているということです。
聞いている側からすると、こう思いますよね。
「誰から始まった物語なの?」
当然の疑問です。
物事には始まりがあって、原因があります。
それを抜きにして、途中からの結果だけ語っても、本当の話にはなりません。
都合の悪いところを、どこにやったのか
ここが、いちばんモヤッとするポイントです。
このタイプの人が語る話の中に、決定的に欠けているものがあります。
自分の都合の悪い部分です。
自分が引き起こした原因。
自分の言動。
自分が相手を傷つけた事実。
自分が選んだ行動の結果。
これら全部が、語られないか、「なかったこと」になっている。
都合の悪いところを、どこにやったのか。
消したのか。
忘れたフリをしているのか。
本気で覚えていないのか。
いずれにしても、聞いている側は当然気づきます。
「いや、最初にあなたが○○したじゃん」
「それを抜きにして話してるよね」と。
この違和感、気のせいじゃありません。
ちゃんと、欠けているものを受け取っているんです。
「自分もつらかった」で、責任追及を回避する
このタイプの人がよく使う、決定的なフレーズがあります。
「自分もつらかった」
「自分も傷ついてる」
「自分も被害者なんです」
これ、戦術として機能しています。
本来、責任を問われている場面で、自分のつらさを前に出す。
そうすると、相手は強く言いにくくなる。
「そこまでつらいなら…」という空気が生まれる。
結果、責任追及がうやむやになる。
つまり、同情を引くことで、責任を引き受けずに済ませる戦術なんですよね。
本人が意識してやっているかどうかは、分かりません。
無意識のクセになっているかもしれない。
でも、機能している効果は同じです。
こっちが追及しようとした責任の話は、消えていく。
代わりに、相手のつらさの話に乗らされる。
論点が、事実から感情にズラされている
もう一つの特徴は、論点のズレです。
こっちは、事実の話をしています。
何が起きたのか。
誰が何をしたのか。
何が問題だったのか。
でも相手は、感情の話に持っていく。
「自分がどれだけ大変だったか」
「どれだけ傷ついたか」
「どれだけ我慢してきたか」
こっちは事実、相手は感情。
噛み合うわけがないんですよね。
これも、責任から逃げるための論点ずらしです。
事実の話を続けると、自分の非が明確になる。
だから、感情の話に変えて、論点をぼかす。
その場は、なんとなく終わる
これが、いちばん厄介なところです。
被害者ポジションを取られると、強く言いづらくなります。
感情的な訴えに、こっちが正論で押し切るのも、なんだか嫌な感じになる。
結果として、問題はなんとなく終わる。
そして、本人はこう思うかもしれません。
「あの場は乗り切れた」
「自分の被害は理解してもらえた」
「相手が分かってくれた」
でも、こっちからすると、何も解決していないんですよね。
ただ、追及できなくなっただけ。
モヤモヤだけが、こっちに残る。
そして、本人は「自分は被害者だった」という確信を、また少し深める。
次も、同じパターンを繰り返す。
本来あるはずの「因果応報」が、ねじ曲げられている
ここまで見てきた構造、一言でまとめるとこういうことです。
本来あるはずの「因果応報」が、ねじ曲げられている。
自分の言動が原因なら、結果も自分のものです。
それが因果応報という、シンプルで揺るがない仕組みです。
でも、被害者ムーブする人は、これをひっくり返そうとする。
結果だけを取り出して、原因は相手のせいにする。
都合の悪い部分は、語らない。
自分のつらさを前に出して、責任追及を回避する。
でも、こっそり切断したつもりの因果は、実際には繋がったままです。
本人がどれだけ語らなくても、自分が原因を作った事実は、ちゃんと残っている。
都合よく切り取っても、事実は事実なんですよね。
「気にするな」では、このモヤモヤは消えない
こういう人を相手にしたとき、よく言われるアドバイスがあります。
「気にしないほうがいいよ」
「そういう人もいるから」
言ってる人に悪気はないと思います。
でも、これでスッキリした人は、たぶんいません。
なぜかと言うと、このモヤモヤは、感情の問題じゃないからです。
「気にしない」と決めれば消える種類のものではありません。
頭で「あれは何だったのか」が分からないまま放っておくと、また同じ場面で同じモヤモヤが出ます。
本当に消したいなら、感情で蓋をするのではなく、構造として理解するのが効きます。
「あ、この人は完全な他責思考なんだな」
「物語を途中から切り取って、被害者ポジションに移動しているんだな」
「都合の悪いところは、語らないことで消そうとしているんだな」
そう見えると、不可解さがだいぶ消えます。
そして、この人が変わらないことも、納得できる。
こっちの「いや、原因あなただし」という違和感は、正しかったんです。
ちゃんと、欠けているものを受け取っていただけです。
こういう人と、どう関わるか
とはいえ、こういう人とも、関わり続けないといけない場面はありますよね。
職場、家族、ご近所。
すぐに距離を取れない相手のときは、関わり方を変えるしかありません。
基本は「戦わない、変えようとしない、自分の課題に集中する」というシンプルな考え方ですが、これを身につけると、こういう人を相手にしたときの消耗が、だいぶ減ります。
