「そう思わせたならごめん」にモヤモヤする理由

そう思わせたならごめん

「そう思わせたならごめん」

この言い方に、モヤモヤしたことありませんか?

一応、謝っている形なんですよね。
でも、なぜか全然スッキリしない。
むしろ、話がズレた感じがすることもあります。

なんでこんな違和感が残るのか。
この言葉には、ある仕掛けがあるからです。
そして、その仕掛けに気づくと、モヤモヤの正体がはっきり見えてきます。

目次

「自分が悪い」とは言っていない

普通の謝罪って、こういうものですよね。

自分の言動に問題があった。
相手を傷つけた。
それを認めて、引き受ける。

これが、ちゃんとした謝罪です。

でも、「そう思わせたならごめん」は、少し違います。

この言葉、よく見ると、問題を「相手の受け取り方」に変えているんです。

「あなたがそう感じたなら、謝ります」
「でも、自分の言動に非があるとは言っていない」

こういう形になっている。
謝罪の体裁は取りながら、自分の言動の問題には触れていない。

謝る範囲を、自分で狭めている

ここがこの言葉の、いちばん巧妙なところです。

本来、謝るべき対象って、こういうことのはずです。

自分の言動。
その言動の問題。
相手を傷つけたという事実。
そこに至った自分の責任。

これら全部を引き受けるのが、本当の謝罪です。

でも「そう思わせたならごめん」を言う人は、違います。

謝る対象を、自分の都合のいいように絞り込んでいるんです。
具体的には、「相手をそう感じさせた」という、相手の感情の部分だけを取り出して、そこだけを謝罪している。
自分の言動そのものの問題には、一切触れていない。

つまり、謝罪の範囲を、自分で意図的に狭めているということです。

「悪い」という認識はある、でも引き受けたくない

大事なのは、本人に「自分が悪い」という認識が、まったくないわけではないことです。

たぶん、心のどこかでは分かっています。
自分のやったことに、問題があるのは。

でも、本質的な責任は、絶対に引き受けたくない。
そこを認めると、自分の立場が崩れるからです。
だから、なんとか軽い方の罪に話をすり替えて、そっちだけで済ませようとする。

「自分の言動が悪かった」と認めるのは、重い罪。
「あなたがそう感じた」と認めるのは、軽い罪。

同じ「謝罪」の形を取りながら、引き受ける重さが、まったく違うんです。

この人がやっているのは、本質から逃げて、軽い方の罪だけ謝って、その場をうやむやにする戦術です。
口が達者な人ほど、こういう言い方がスッと出てきます。

結果的に、こっちが「けなされた」と感じる形になる

そして、この言い方には、もう一つ嫌な側面があります。

「そう思わせたならごめん」を被害者目線で受け取ると、こんなメッセージが透けて見えるんです。

「あなたがそう感じたなら、謝ります」
これを翻訳すると、「あなたの受け取り方に問題があったわけだけど」というニュアンスが含まれている。
そして「そんなあなたに配慮できなかった私が、大人として謝ってあげる」という構図になっていく。

つまり、こんなメッセージが裏に透けて見える。

「受け取り方が未熟なあなたに対して、私が譲歩してあげているんだよ」

謝罪の形を取りながら、こっそりこっちを「未熟な受け取り手」のポジションに置いている。
そして相手は、「配慮できる大人」のポジションに収まる形になる。

これ、はっきり言って、謝罪に偽装したマウントです。

普通の謝罪なら、謝る側が下(非がある側)で、謝られる側が上(被害を受けた側)。
でもこの言い方だと、謝る側が上(配慮できる大人)、謝られる側が下(受け取り方が未熟な人)になってしまう。

謝罪の体裁で、上下関係をひっくり返している。
たちが悪いです。

これが、被害者が感じる「謎のマウント」「けなされた感じ」の正体です。
謝ってもらったはずなのに、なぜか自分が責められている気がする。
そして、それを言語化できないから、余計にモヤモヤする。

気のせいじゃありません。
ちゃんと、受け取っているんです。

マウント体質の人が、保身に走るとこうなる

しかも厄介なのが、こういう言い方をする人は、たぶん普段からマウント体質があるところです。

口が達者で、言葉のニュアンスで人をコントロールする経験が豊富。
普段から、人をちょっと下に見るような言い方を、自然にしている。
だから、いざというときに「そう思わせたならごめん」みたいな言い方がスッと出てくる。

そのうえで、この場面でこの言葉を選んだ動機は、保身です。
追及されている状況から、なんとかうまく逃げたい。
自分の責任を本気で引き受けるのは嫌だ。
そういう「逃げたい」一心で出てきた言葉に、普段のマウント体質が乗ってくる。

つまり、マウント体質の人が保身に走った結果が、この言葉になっています。

本人にとっては、「うまく切り抜けた」「大人な対応をした」くらいの認識かもしれません。
でもこっちが受け取るのは、「謝ったフリで、見下されている」という感覚。

本人の自覚があろうがなかろうが、ダメージを受けるのはこっちなんですよね。

納得しないと「だから謝ってるじゃん」になる

ここからが、もう一つの厄介なところです。

こっちがモヤモヤしたまま黙っていられないと、相手はこう言います。

「いや、だから謝ってるじゃん」

でも、こっちが求めていたのは、「謝ったかどうか」だけの話じゃないんですよね。

自分の言動に問題があったと、ちゃんと認めてほしかった。
何が問題だったのかを、共有したかった。
そこを引き受けてほしかった。

でも相手は、「謝った」という事実だけで終わらせようとしている。
しかも、自分で狭めた範囲だけを謝って、それで「謝罪済み」にしている。

こっちが本質を突こうとすると、「だから謝ったじゃん」で封じられる。
これ以上の追及を、形式的に防いでいるんです。

だから話がかみ合わない。
こっちは本質の話をしたい、相手は形式で終わらせたい。
最初から、求めているものが違うんです。

>>「謝ったらいいの?」と言う人の特徴はこちら

結局、責任を引き受けたくないだけ

この言葉の根っこにあるのは、シンプルな気持ちです。

悪者になりたくない。
自分が悪いとは、認めたくない。
でも、その場は収めたい。
立場も保ちたい。

これら全部を満たすのが、「そう思わせたならごめん」という言い方です。

表面的には謝っているように見える。
でも、自分の本質的な責任は引き受けていない。
しかも、被害者を「未熟な受け取り手」のポジションに置いて、自分は「配慮できる大人」になる。
そして追及されても、「謝ったじゃん」で封じる。

つまりこれは、謝罪ではなく、謝罪の形を使った責任回避と、その場をうやむやにする戦術です。
言葉の形だけ整えて、中身を空っぽにする、たちの悪い言い方です。

だから、モヤモヤが残る

一応謝っている。
でも、何かが引っかかる。

その感覚、気のせいじゃありません。

こっちは「問題そのもの」について話したかった。
でも相手は、「受け取り方の問題」に勝手に変えて、そこだけ謝った。
しかも、その流れの中で、こっちを「未熟な受け取り手」のポジションに置いてきた。
こっちが求めていた範囲と、相手が引き受けた範囲が、決定的にズレている。

しかも、形式的には「謝罪済み」になっているから、これ以上は追及できない空気になる。
モヤモヤが残ったまま、その場は終わってしまう。

これが、あの違和感の正体です。
言葉にできなかったけど、ちゃんと受け取っていたんです。

「気にするな」では、このモヤモヤは消えない

こういう場面に遭遇したとき、よく言われるアドバイスがあります。

「気にしないほうがいいよ」
「もう謝ってもらったんだし、いいじゃん」

言ってる人に悪気はないと思います。
でも、これでモヤモヤが消えた人は、たぶんいません。

なぜかと言うと、このモヤモヤは、感情の問題じゃないからです。
「気にしない」と決めれば消える種類のものではありません。

頭で「あれは何だったのか」が分からないまま放っておくと、同じ場面でまた同じモヤモヤが出ます。
本当に消したいなら、感情で蓋をするのではなく、構造として理解するのが効きます。

「あ、これは謝罪の形を使った責任回避だな」
「相手は軽い罪に話をすり替えて、本質から逃げてるんだな」
「しかも、こっちを未熟な受け取り手にして、マウント取ってきてるんだな」
そう見えると、不可解さがだいぶ消えます。

こっちの感覚は、正しかったんです。
ちゃんと違和感を受け取っていただけです。

こういう人と、どう関わるか

とはいえ、こういう言い方をする人とも、関わり続けないといけない場面はありますよね。
職場、家族、ご近所。
すぐに距離を取れない相手のときは、関わり方を変えるしかありません。

基本は「戦わない、変えようとしない、自分の課題に集中する」というシンプルな考え方ですが、これを身につけると、こういう人を相手にしたときの消耗が、だいぶ減ります。

↓詳しくはこちら↓
>>話が通じない人との関わり方|戦わずに勝つという選択

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次