「お前が我慢すれば、丸く収まるだろ」
「お前が黙ってれば、誰も傷つかない」
こう言われたこと、ありませんか?
一見すると、正論に聞こえます。
みんなのため。
波風を立てない。
だから、その場では言い返しにくい。
でも、飲み込んだあとに、モヤモヤが残る。
「なんで、自分だけが我慢するんだ?」
その引っかかりは、正しいです。
それ、正論の顔をした「押しつけ」です
このセリフの正体を、分解します。
言っている本人は、自分がやったことを棚に上げています。
そのうえで、丸く収めるコストだけを、こっちに回してくる。
「我慢すれば丸く収まる」。
これ、よく聞くと変です。
収める手段が、”こっちの我慢”一択になっている。
本来なら、原因を作った側が動く場面です。
なのに、動くのはいつもこっち。
正論の形をしているだけで、中身はただの押しつけなんです。
我慢で”丸く収まる”は、そもそも収まってない
そもそも、です。
我慢している人がいる時点で、丸く収まってなんかいません。
表面が静かになっただけ。
こっちが飲み込んだぶん、見えないところに押し込まれているだけです。
それを「丸く収まった」と呼ぶなら、
収まっているのは相手の都合であって、こっちじゃない。
もうひとつ、見ておきたいところがあります。
「お前が黙ってれば、誰も傷つかない」。
この”誰も”に、こっちが入っていません。
黙らされる側は、もう傷ついています。
その傷は、はじめから数えられていない。
つまり、このセリフが守っているのは「みんな」じゃない。
波風を立てたくない、その人自身の都合です。
あなたの痛みを「無かったこと」にすることで、平和ということにしている。
「自分がおかしいのかな?」と思わされる
やっかいなのは、これを言われ続けると、感覚が狂ってくることです。
相手は、真顔で当然のように言ってきます。
「我慢するのが普通だろ」という顔で。
すると、だんだんこう思い始める。
「我慢できない自分が、わがままなのかな?」
「気にする自分が、心が狭いのかな?」
これは、心理学でガスライティングと呼ばれる現象に近いものです。
相手の”当然”に押されて、事実を見ているこっちが、自分を疑い始める。
はっきり言っておきます。
おかしいのは、あなたではありません。
理不尽を「理不尽だ」と感じる感覚は、正常です。
なぜ、平気でこれを言えるのか
こう思いますよね。
「自分がやったこと、忘れたの?」
そこが、このタイプの根っこです。
自分の非を、勘定に入れられない。
相手が受けている痛みも、見えていない。
だから、自分のコストは相手に回して、平気でいられる。
なんで、そこが見えないのか。
その構造は、こちらで書いています。
↓この「自分の非が勘定に入らない」の根っこはこちら↓
>>未熟な大人とは何か|話が通じない、論理が届かない「困った人」の構造
偽の正論に、うなずかない
向き合い方は、ひとつだけです。
「我慢すれば丸く収まる」に、うなずかないこと。
まず、前提を戻します。
丸く収める責任は、原因を作った側にもある。
こっちだけが背負う話では、そもそもありません。
そして、自分の感覚を疑わないこと。
モヤモヤは、わがままじゃない。
理不尽を受け取ったという、正しいサインです。
黙らせにくる正論には、黙ってうなずかない。
それだけで、一方的に損をする流れは、止まります。
↓こういう人との関わり方はこちら↓
>>話が通じない人との関わり方|戦わずに勝つという選択

