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謝れる人と謝れない人の違い|なぜここまで差が出るのか

話していて、こう感じたことはないですか?

「なんでここで謝れないんだろう」
「そこまで状況が悪いのに、まだその態度なんだ?」

同じように自分に非がある場面でも、素直に謝れる人と、最後まで謝れない人がいます。

この差は、ただの性格の違いではありません。
そこには、その人の考え方や人間としての成熟度がはっきり出ます。

目次

この話は「自分に非があると理解している前提」です

ここで一つ、前提を整理しておきます。

この話は、自分に非があると理解できている前提です。

つまり、

  • 自分が悪いことは分かっている
  • 状況も理解できている

その上で、謝れるか、謝れないかという話です。

もしここが違う場合。

そもそも自分に非があると理解できていない場合は、話が変わります。

それは、「非を認めない人」の問題です。

今回のテーマとは別の話になります。

謝れる人は、現実を受け止められる人です

謝れる人は、自分に非があるときに、まず現実を見ます。

  • 自分が何をしたのか
  • 相手にどういう影響が出たのか
  • 今どういう態度を取るべきか

こういったことを整理した上で、必要な行動を選べます。

つまり、謝れる人は、ただ口先で「ごめん」と言える人ではありません。

自分に都合の悪い現実から逃げずに向き合える人です。

謝れない人は、相手を下に見ています

一方で、謝れない人の中には、かなり分かりやすい共通点があります。

相手を下に見ています。

その人に謝るなんてあり得ない。
自分が頭を下げるなんて屈辱だ。
「お前が黙って飲み込んでおけよ」

そういう前提で見ているから、そもそも謝るという発想が出てきません。

つまり謝れないのは、言葉が出ないからではありません。

その相手に謝る価値を感じていないからです。

追い詰められても、なお態度を変えられません

ただ、現実はそう甘くありません。

逃げ場がなくなり、どう見ても自分が悪い。
もう謝るしかない。
そこまで追い込まれることもあります。

普通なら、ここで態度を改めます。

でも謝れない人は違います。

そこまで追い詰められても、まだ強気でいようとします。

なぜか。

プライドが許さないからです。

完全に下に行くことが耐えられない。
最後まで「自分の方が上」という形を保ちたい。

だから、態度だけは崩さないのです。

「謝ればいいんだろ?」は謝罪ではありません

その結果として出てくるのが、こういう言葉です。

「謝ればいいんだろ?」

でも、これを謝罪とは言いません。

ただの捨てゼリフです。

本心では納得していない。
反省もしていない。
状況的に言わされているだけ。

しかも、その言い方の中には、最後まで上からでいたい気持ちが残っています。

冷静に見ると、かなり不自然ですよね。

自分に非がある。
追い詰められている。
逃げられない。

そこまで来ているのに、まだ態度だけは大きい。

正直、かなり恥ずかしい状態です。

そもそも「謝ればいいの?」という発想がズレています

ここで、もう一つ大きなズレがあります。

「じゃあ謝ればいいの?」という発想です。

一見、謝ろうとしているように見えるかもしれません。
でも、よく見ると完全にズレています。

なぜなら、その時点での謝罪は、許してもらうための手段になっているからです。

  • とりあえず謝ればいい
  • 謝れば収まる
  • 謝れば終わる

こういう発想は、全部その場をしのぐためのものです。

つまり、謝罪そのものを、自分が助かるための道具として扱っています。

謝罪は交換条件ではありません

ここはかなり大事です。

謝罪は、許してもらうための交換条件ではありません。

「謝ったんだからいいでしょ」
「謝ったのに許さないの?」

こういう考え方になる時点で、謝罪を“取引”として見ています。

でも本来、謝罪は違います。

自分の非を理解した上で、相手に対して誠実に示すものです。

相手が許すかどうかは、その後の話です。
そこは自分が決めることではありません。

謝れば終わり、ではないのです。

「謝ったんだからもういいでしょ」はズレています

もう一つ、よくあるズレがあります。

「謝ったんだからもういいでしょ」

この考え方です。

結論から言うと、完全にズレています。

なぜか。

それは謝る側が決めることではないからです。

謝るという行為は、自分の非を認めて示すものです。
そこまでです。

その後、

  • 許すかどうか
  • どう受け取るか

それは相手の領域です。

それにも関わらず、

「謝ったんだから終わりでしょ」
「もういいでしょ」

と考えてしまうのは、謝罪を終わらせるための手段として見ているからです。

完全に自己都合です。

だから謝れる人と謝れない人で差が出ます

結局、この差は何か。

自分の非を前にしたときに、

  • 現実を受け止められるか
  • 相手を一人の人間として見られるか
  • 今どういう態度を取るべきか判断できるか

この差です。

謝れる人は、ここを考えられます。

謝れない人は、違います。

  • 自分のプライド
  • 自分の立場
  • 自分がどれだけ傷つかずに済むか

こちらを優先します。

だから、謝罪ができない。
あるいは、形だけになる。

人は追い詰められたときに本性が出ます

余裕があるときは、誰でもそれなりに取り繕えます。

でも、追い詰められたときは違います。

ここで出るのが、その人の本性です。

誠実に向き合う人。
嘘でやり過ごそうとする人。
逃げる人。
逆ギレする人。
悪態をつく人。
開き直る人。

このときの態度に、その人の中身が出ます。

謝れる人は、「今、自分はどうするべきか」を判断できます。

謝れない人は、「どうやってこの場を逃げるか」しか考えていません。

ここで、人間としてのレベルがはっきり出ます。

結論

謝れる人と謝れない人の違いは、単なる気の強さや性格の差ではありません。

現実を受け止められるか。
相手を下に見ずに向き合えるか。
自分のプライドより誠実さを優先できるか。

この差です。

謝れない人は、謝罪を誤解しています。

自分が助かるための手段。
その場を終わらせるための交換条件。
形だけ整えるための言葉。

でも、それは謝罪ではありません。

謝罪は、許してもらうための取引ではないですよね。

そこを理解できるかどうかで、かなり大きな差が出ます。

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