やたら説教したがる人の正体|それ、教育じゃなくて「してやってる感」が欲しいだけ

説教したがる人説教が長い人

こういう人、いませんか?

何かにつけて「お前、なんでこれやってないんだ?」「なんでこれだけしかできてないんだ?」と、長々と説教してくる人。
始まると、いつ終わるか分からない。
聞いてる側は、もう内容が頭に入ってこない。
ただ、終わるのをじっと待っているだけです。

こっちにも事情があるんだけど、それは聞いてもらえない。
言い返そうとすると、もっとややこしくなる。
だから黙って聞くしかない。
そして、「なんでこの人、ここまで言うんだろう」と、内心ずっと思っている。

このモヤモヤ、「気にするな」で済む話じゃないですよね。
気にしない努力をしようとしても、また同じことが起きる。
本人は変わらない。
そして、こっちのモヤモヤだけが、ずっと残り続ける。

この記事では、そういう「やたら説教したがる人」が、なぜそうなのかを構造で見ていきます。
感情で「ヤバいやつだな」と切り捨てるより、頭で理解するほうが、結果的に楽になります。

目次

「なんでこの人、こんなに説教長いの?」

説教したがる人を相手にすると、まずぶつかるのが、この「長さ」の問題です。

普通、注意や指導なら、用件を伝えて終わりますよね。
「ここはこうしてほしい」「次から気をつけて」、それで済む話。
長くても5分か10分です。

でもこのタイプは違います。
最初の指摘は短くても、そこから話が広がっていきます。
「だいたいお前は前からこうで」「他の場面でもそうだった」「俺はずっと言ってきた」と、関係ない過去の話まで引っ張り出してくる。
気がつくと、最初の用件はどこかに行ってしまって、ただ責められ続けている時間になっています。

そして、長いだけじゃありません。
キレどころも、よく分からない。

「そんなことで?」という内容に、本気で長時間、責め立ててくる。
聞いてる側は、なぜそこまで反応されるのか、見当もつかない。
こっちが受け止められる範囲を、明らかに超えた反応です。

一見、誰も得していない行動に見える

ここで、ひとつ冷静に考えてみたい話があります。

この長い説教、誰のためにやっているんでしょうか。

聞いてる側は、明らかに損しています。
時間を奪われ、気力を削られ、仕事に戻ってもしばらく集中できない。
場合によっては、その人と関わるのが嫌で、辞めていく人すらいます。

では、本人のためかというと、それも怪しい。
これだけ長時間説教している人は、たいてい周りからも嫌われています。
「またあの人が始まった」と、腫れもの扱いされている。
本人が思っているほど、評価もされていないし、信頼もされていない。

会社にとっても、得な話じゃありません。
業務時間を長時間止めて、しかも聞いてる側のモチベーションを下げて、最悪辞められる。
これでまともな指導効果があればまだ救いがありますが、内容は「そんなことで?」レベル。
費用対効果としても、ひどい話です。

つまり、客観的に見ると、誰も得していません。
聞いてる側も、本人も、会社も、全員が損している行動です。

では、こんな不毛な行動を、なぜわざわざ続けるのでしょうか。
ここに、この人物を理解するための入口があります。

本人は「その瞬間」だけ気持ちよくなっています

誰も得していないように見えるこの行動、よく観察すると、ひとつだけ動いているものがあります。

本人の、気持ちよさです。

長時間、相手を一方的に責めている時間。
相手は黙って聞くしかない。
反論もできない。
本人の言葉だけが、その場を支配している。

この時間が、本人にとっては気持ちいい。
誰にも遮られず、自分の言葉だけが通る。
相手は自分の前で小さくなっている。
普段の自分とは違う、なんとなく上に立てている感覚。
それを味わっている時間です。

そして、もうひとつ動いているものがあります。
周りへのアピールです。

本人の中には、たぶんこういう声があります。
「俺は使えないやつをマトモにしてやってる」
「ちゃんと指導できる、頼れる立場の人間だ」
それを周りに見せたい。
だから人前でやるし、声を張るし、長くやる。

残念ながら、これは完全に逆効果です。
周りから見れば、長時間説教している人は「指導力のある人」ではありません。
「うわ、また始まった」「関わりたくない」と思われているだけです。
本人だけが、その温度差に気づいていません。

そして問題は、ここから先です。

本人が得ているのは、その瞬間の気持ちよさだけです。
長い目で見ると、本人も間違いなく損しています。
周りから嫌われていく。
信頼を失っていく。
まともな人から距離を取られていく。
気がつくと、誰も寄り付かなくなっている。

つまりこれは、その瞬間の気持ちよさのために、自分の首を自分で絞めている行為です。
そんな風だから、長い目で見ると、生きていくのも難しくなっていくんですよね。

「得している」というより、「気持ちよさに引っ張られて自滅している」、というほうが正確です。

「教える立場 = 偉い」という勘違い

本人の頭の中をもう少し覗いてみると、ひとつの勘違いが見えてきます。

「教える立場にいる自分は、偉い」

普通、人を教える経験を重ねた人は、こうは思いません。
教えるのは難しい、と気づくからです。
言葉を選ぶ、相手の理解度に合わせる、伝わる順番を考える。
教える側にも責任があるし、相手をちゃんと一人の人間として扱う必要がある。
そういうことが、徐々に分かってきます。

でも、説教したがる人は、ここを通っていません。

たぶん、人生で初めて「教える側」というポジションを得て、舞い上がっているんです。
教える側 = 偉い側 = 上の側。
そして上にいる自分は、何を言っても許される。
そんな単純な構図で、世界を見ている。

だから、相手の事情を考えない。
言葉の選び方も雑になる。
時間も気にしない。
自分は上、相手は下、ただそれだけで動いている。

「教える」というのは本来、相手を成長させる行為のはずです。
でもこのタイプの「教える」は、そうじゃない。
自分が上に立てる時間を、できるだけ長く味わうための行為になっています。

説教する相手は、選ばれています

ここで、ひとつ確かめてみたいことがあります。

この人、誰に対しても同じように長々と説教しているでしょうか。

たぶん、違います。

自分より立場が上の人。
明らかに反撃してきそうな人。
言い返してきて場をひっくり返すタイプの人。
そういう相手には、絶対にやりません。
なんなら、その手の人の前では、いい顔をしていることすらあります。

つまり、説教する相手は、選ばれているんです。

言い返してこない人。
立場が弱い人。
我慢して聞いてくれる人。
そういう「安全な相手」にだけ、長時間の説教が炸裂します。

本人にこの自覚はないと思います。
でも構造としては、完全にそうなっている。
反撃される可能性のある場所では、絶対に発動しない。
安全な場所だけで動く。

「教育のため」「指導のため」と本人は言うはずです。
でも、もしそれが本当に教育のためなら、立場が上の人にだって、必要があれば同じトーンで意見を言うはずですよね。
でも絶対にしない。

ここから見えるのは、シンプルな事実です。
この行動は、教育のためではなく、安全に上に立てる時間を確保するためのもの。
相手を選んで、安全圏でやっている。

つまりこれは、教育じゃなくて「してやってる感」の道具

ここまでをまとめると、構造がはっきり見えてきます。

長時間の説教は、教育のためではありません。
本人が「教育してやってる感」を味わうための、道具になっています。

本人の中にあるのは、こういう感覚です。
俺は使えないやつをマトモにしてやってる。
俺は会社のために指導してやってる。
俺は教える側として、ちゃんと役割を果たしてやってる。

「してやってる」が、全部の語尾につく。
これが、この行動の中身です。

そして、「してやってる感」を味わうには、条件があります。
相手が下にいないと、味わえないんです。
相手が反撃してこないこと。
相手が黙って聞いていること。
相手が自分より弱い立場にいること。
だから、説教する相手は選ばれます。
「してやってる感」が成立する相手にだけ、発動するんです。

聞いてる側がしんどいのは、ここに原因があります。
本来の「教育」なら、相手のためになる時間のはずです。
でもこの「説教」は、相手のための時間ではなく、本人の「してやってる感」のための時間。
聞かされている側は、教育の対象ではなく、「してやってる感」を成立させるための道具にされている。

これに気づくと、なんとも言えない不快感の正体が、はっきりします。
モヤモヤの中身は、長時間拘束されることへの不満だけじゃありません。
「自分は今、この人の気持ちよさの道具にされているな」
そういう感覚を、ちゃんと受け取っているからなんですよね。

そして本人は、これを「教育」だと信じている

ここがこの話の、いちばん厄介なところで。

本人に、悪意はないんです。
「俺は相手のためを思ってやってる」
「会社のためにキッチリ指導してる」
本気でそう思っている。

そして、こういう人は決まって、周りから迷惑がられています。
長時間の説教を見て、好感を持つ人はいません。
辞めていく人がいるのを見て、「あの人のせいだな」と周りは気づいている。

ところが、本人にはそれが見えていません。

聞いてる側の表情が固まっていても、見えない。
周りが腫れもの扱いしている空気も、感じ取れない。
辞めていく人と、自分の指導を結びつけられない。
人の表情や空気を読み取る機能そのものが、働いていないんです。

だから本人の世界では、否定的なフィードバックが存在しません。
あるのは、自分の中の「俺は良いことをしている」という信念だけ。
否定情報が入らないので、その信念は強化される一方になります。

これでもし「あなた、長すぎますよ」「みんな迷惑がってますよ」と指摘されたら、どうなるか。

本人の頭の中では、こうなります。
俺はいいことをしている。
なのに俺が責められるのは、おかしい。
ということは、俺が正しくて、指摘してくるやつのほうが間違っている。

冷静に受け入れる、という展開は起こりません。
むしろ「指摘してきた奴」が、新しい「使えないやつ認定」の対象になるだけです。

これが、止まらない理由。
そして、変わらない理由です。

では、本人は同じことをされても受け入れるのか

ここで、ひとつ確かめておきたい話があります。

本人が本気で「これは正しい教育だ」と思っているなら、自分が同じことをされたとき、ありがたく受け入れるはずですよね。

立場が上の人から、長時間の説教を受けても「いい指導をしていただいた」と感謝するはず。
些細なことで「なんでやってないんだ」と詰められても、「指摘してくれてありがとう」と納得するはず。
本当に正しい行為なら、される側に回っても正しいはずだから。

でも、絶対しません。

立場が上の人から同じことをされたら、間違いなくキレます。
「なんで俺がそんなこと言われなきゃならないんだ」と。

なぜか。
本人の中では「自分は正しい」が大前提だからです。
自分は正しい人間。
正しい人間が、責められるのはおかしい。
だから、自分が責められる場面というのは、そもそも成立しない。

ここで、論理が完全に崩れているのが見えます。

本人がやっている「説教」が本当に正しい行為なら、される側になっても正しいはずです。
でも本人の中では、「自分はやる側で正しい、自分はやられる側にならない」が、両方同時に成立している。
「やる」と「やられる」で、ルールが違うんです。

つまり、本人にとっての「正しい」は、教育として正しいのではありません。
自分が上に立てるから、気持ちいい
それだけのことが、本人の中で「正しい」に化けている。

これに本人が気づくことは、おそらくありません。
気づくためには、自分を客観的に見る機能が必要です。
でもその機能こそが、このタイプの人にはいちばん欠けている部分なんですよね。

「気にするな」では、このモヤモヤは消えない

こういう人に遭遇したとき、よく言われるアドバイスがあります。

「気にするな」
「真に受けるな」
「相手にするな」

言ってる人に悪気はないと思います。
でも、これでモヤモヤが消えた人は、たぶんいません。

なぜか。

このモヤモヤは、感情の問題じゃないからです。
「気にしない」と決めれば消える種類のものではありません。
頭で「あれは何だったのか」が分からないまま放っておくと、また同じ場面でモヤモヤが再生されます。

気にしないようにする努力をしている間も、相手は変わらず説教してくる。
こっちは何が起きているのか分からないまま、また長時間拘束される。
そして「気にしないようにしよう」と、また自分に言い聞かせる。
この繰り返しは、消耗です。

本当にモヤモヤを消したいなら、感情で蓋をするのではなく、頭で構造を理解するほうが効きます。

この人は何をやっているのか。
なぜそれをやってしまうのか。
本人の中で何が起きているのか。
そこが見えると、相手が「不可解な脅威」から、「構造で動いている、ある種の壊れ方をした人」に変わります。

不可解だから怖い。
構造が見えると、怖さは消えていきます。
「あー、はいはい、また『してやってる感』を取りに来てるだけね」と、心の中で言える状態になる。
ここまで来れば、振り回されることは、だいぶ減ります。

結論:これはもう、歩く爆弾みたいなものです

長くなったので、構造をまとめておきます。

やたら説教したがる人がやっているのは、教育ではありません。
「教育してやってる感」を味わうための行為です。
そのために、言い返してこない安全な相手を選んで、長時間の説教を炸裂させる。
本人はそれを「俺は良いことをしている」と心から信じている。

周りからは迷惑がられているのに、本人だけが気づかない。
指摘されても受け入れない。
自分は正しい、指摘してくる方がおかしい、という回路で処理してしまうから。
そして気がつくと、まともな人から距離を取られて、自分の足場が崩れていく。
そんな風だから、長い目で見ると、生きていくのも難しくなっていくんですよね。

これが、この人物の正体です。

そして、ここまで構造が見えると、もうひとつ大事なことが分かります。

これは、話が通じる相手じゃありません。
「あなた長すぎですよ」と伝えても、響かない。
「みんな迷惑がってますよ」と教えても、届かない。
本人の中の「俺は正しい」が、外からの情報を全部はじき返してしまうから。

言ってみれば、歩く爆弾みたいなものです。
いつ、何で爆発するか分からない。
解除しようとしても、こっちが返り討ちにあうだけ。
できるのは、安全な距離を取ることだけです。

戦って分からせよう、変えてやろう、というのは、爆弾を素手で解体しようとするのと同じ。
無理だし、こっちが消耗するだけです。
正しい対処は、爆発する範囲の外に出ること。
それしかありません。

そんな人と、どう関わるか

とはいえ、職場や家族など、すぐに距離を取れない相手というのも、現実にはいますよね。

そういう場合の、関わり方の考え方は、別の記事でくわしく書いています。
基本は「戦わない、変えようとしない、自分の課題に集中する」というシンプルなものですが、これを身につけると、説教魔みたいな人を相手にしたときの消耗が、だいぶ減ります。

>>話が通じない人との関わり方|戦わずに勝つという選択

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